

循環する命【2026.07】
37歳の誕生日。念願であった屋久島旅行へ行ってきた。 照葉樹の原生林、巨大樹があちらこちらにそびえていて、九州最高峰を抱く深い山は圧倒的な生命力と神秘性を持っていた。 大きな木が倒れると、そこには日の光が入り込み、倒木自体も新芽の苗床として栄養を与える。そうして育った木がまた大木となる。 そうやって育った木がいくつもあって、何百何千年と繰り返されてきた壮大な命のサイクルが目の前に広がっていた。 大きな命の終わりが別のたくさんの命を育む。 年間を通して雨の多い屋久島。振り続ける雨が山で磨かれ、透明感の強い川となり広大な海へ流れていた。 水も命も、形を変えて循環していくものなのだと、肌で感じることができたこの旅。 生き物の捉え方もこれまでと少し変わりそうな気がする。 屋久杉と


観葉植物【2026.06】
私のアトリエは、地方とはいえ割と市街地の中にある。 これまで拠点とは違い、制作の合間にふと目に入る緑がどうしても少なく感じるため、観葉植物がどんどんと増えてきた。 今では大小合わせて20点くらいか。ここまでたくさん育てたのは初めてだ。 室内で、しかも小さな鉢で育てる観葉植物は、畑で栽培する野菜と育て方が大きく違う。これまで何度か枯らしてしまうこともあったが、最近はなんとなくコツと植物ごとの個性が掴めてきた。 日々水やりをし、剪定をし樹形を整え、肥料を与える。 今の時期、新芽を出しグングンと伸びる新芽が風に吹かれるを見ているととても愛着が湧く。 日々変化する生命との関わりが、アトリエでの制作にも良い"ゆらぎ"を与えてくれる。 アトリエの植物たち


虫を見つめる【2026.05】
先日、東京都写真美術館で開催されていた「虫展」を鑑賞してきた。 ミクロの世界まで鮮明に映し出された大きな写真は、自分が虫と同じサイズになったような感覚で、知らなかったより細部の造形の美しさを感じた。 嬉しかったのは、会場にあった養老孟司さんの言葉がどれも共感するものばかりで、小さい頃にアリの行列をいつまでも見ていた自分を母親が心配していたらしい。ぼくも子供の頃似たようなことがあったっけな。 特にカゲロウが好きで、網戸に留まっているのをよく眺めていた。 蚊を1匹殺すのさえかわいそうな気がして、「こちらは痒くなるだけだから」と、眺めてから手で追い払っていたこともあった。 養老先生曰く、脳で考えすぎずただただ自然の生み出した美しさを眺める時間も大切とのこと。今よりもっと虫目線であった昔の自分をふと思い出した。 養老孟司と小檜山賢ニの虫展の会場


小さなことと大きなこと【2026.04】
先日、様々な団体や企業などが地球環境をテーマに出展している「アースデイ東京」に行ってきた。 環境問題について活動している団体も多かったが、一言で環境問題といっても分野や立場、視点などによって様々な意見がある。 僕の環境問題への向き合い方は、「ミクロの行動」と「マクロの思想」だ。 「ミクロの行動」は、身近なことをコツコツと。 エアコンの温度を1℃調整する、水筒を待ち歩く。少しの努力をみんなが行うことで変化する。 一方の「マクロの思想」は、深く根本的な部分だ。 人はどう生きるべきか。幸福とは何か。生命とは何なのか。社会全体のこれから向かう先を考え直す。 どちらも重要な、小さなことと大きなこと。 今の文明の中で生きる誰もが地球を破壊する羽車の恩恵を受けている。 特定の意見や誰かを批判するのでなく、自分の手の届く範囲のことに集中し行い自分の生き方を考えることによって、地球がより良い方向に向かうと信じている。 アースデイ東京で展示された作品(グリーンピースジャパン様ブースにて)


朝の散歩【2026.03】
新拠点に移転してから、日課として朝の散歩をしている。 縄張りを調べる動物のように、自分の住む地域を巡り(徘徊し)、スポットやその位置関係を調べているとおもしろい。 何より新しい土地の動植物や環境を知ることは、創作の刺激になっている。 山と海が近いこの地域では、日によって散歩する場所を選ぶ。 僕はこれまで海に縁遠かったので、海に魅せられることも多い。 特に朝に照らされた海は息を呑む景色だ。海面のゆらめきの綺麗さはもちろん、波によって流れる砂一粒一粒がキラキラと輝いていて、まるでキャンバスの上に垂らされた金泥のようだった。 何度も何度も浜に打ち寄せる波とその度に輝く光の粒を見て、これが人や生命が生まれるずっと昔から繰り返されてきた美しさだと思うと、なんだか感慨深い。 これからも様々な海・山の様々の魅力に触れたい。 朝日に照らされる海岸